「あたいと他の愛」を読んで
あたいと他の愛 / 著 もちぎ
を読んでみて、もちぎさんのお母さんと、私のお母さんを重ねました。
だってあまりにももちぎさんのお母さんと、私のお母さんが似ていたから。
もちぎさんのお母さんへの考察を読み、私はお母さんを思い
「お母さんもそうだったのかな?」と想像した。
本文の中で
『母ちゃん、あたいはあんたの息子だけど、あんたの理解の範疇や限度を超える他人でもあるの。
それが理解出来ないうちはずっと変わらない生き方しかできないよ。
だから母ちゃん、ちゃんと生きて。
あたいもちゃんと生きてるから。
そしてお互いがしっかり相手を尊重できた時、やっとあたい達は大人として、親子として対話できるはずだから。
その時がきたら、あたいは母ちゃんを受け止めるよ』
という箇所があって、とても共感したんだ。
私もお母さんにこう思って、願って、お母さんと離れて自立した生活を送っていた。
だけど、お母さんは自殺未遂をして失踪した。
私の前からいなくなった。
私は生きてるけど、お母さんはいなくなった。
お母さんが自殺未遂をして失踪してからもうすぐ2年が経とうとしている。
私は一見普通にしてるけど、お母さんに似た話を見かければ投影して、お母さんに想いを馳せるし。
お母さんが自殺未遂をして失踪して、私の前からいなくなってしまった事実が未だに悲しいよ。
お母さんと離れている期間があっても、お互い尊重出来るようになって大人になったら、ちゃんと対話が出来るようになったら、私はお母さんに会えると思っていたから。
まだ私には時間が掛かりそうで、その間にお母さんがいなくなった。
私はお母さんにまた会えるって信じてたのに、お母さんはもういなくて、ひたすらに悲しいんだ。