凪のお暇6巻7巻を読んで「私」に重ねた事
お母さんも、凪ママみたいに、
「どこか遠くにいってしまえたらなんて思うけど、どこにも行けない事を知ったいる。だからどこにも行かない」
と思っていたのだろうか。
お母さんは、自分の事を「普通の人みたいに、自分には何も出来ない」と思い込んでいた。
だからかな、本当に何もしない人だった。引きこもりだったんだ。
何かして、出来ない自分を見たくなかった?だから何もしないの?
どこにも行けない事を知っていたから、どこにも行かなかったの?
でも、ついにお母さんはどこかに行っていなくなってしまったね。
失踪は、お母さんの初めての挑戦だったのかな?成功したの?それで良かったの?
凪のお暇を読んでいた。
大人目線から見たお母さんは、きっと子供目線で見ていたものとは随分違ったんだろうな。
私は、お母さんの事、大人目線で対等に、どんな人だったのか知りたかった。
もうそんな機会ないなんてさ、あんまりだよ。
初めてお母さんの事、対等に知りたいと思ったんだ。
ここまで来るのに酷く時間が掛かったなあ。
お母さんが失踪していなくなってしまった。
誰かが突然いなくなってしまう恐怖という名のトラウマが、私に植え付けられた。
春から転職し、地元を出て県外に行く時。私は酷く怖かったんだ。
お父さんや恋人がコロナにかかって、死に目に会えなくて、突然お別れになる事が。もうあんな思いはしたくない。
だから、私は転職で県外に、コロナの中行くのが酷く怖くて、地元に残りたかった。
大切な人に忍び寄る危険という名の危機と、転職で県外に行くという2つを天秤にかけたら、私は大切な人達を選びたかった。
でも、現実はそうはいかなくて、転職先は私を待っていて。私は県外に行くしかなかった。断れなかった。
あのまま転職を断ったり保留にして地元にいても、何も変わらなかった。
結果家族も恋人も変わらなく元気そうで良かったし。
県外への転職は、行くべくして行ったものだと思う。
ここで何が得られて自分が成長出来るのか分からなくて、まだ手探りだけれど。
ここに来て良かったと、思える経験でありますように。
家族に忍び寄るコロナによる突然死から二度と会えなくなる不安は、お母さんが失踪して突然いなくなってしまった恐怖と重なり。
私のトラウマから出た反応なのだと今なら思う。過剰反応だった。
誰かが突然いなくなる事の恐怖、お母さんの事を彼に伝えたら、彼は「俺は地元にずっといるよ。いなくならないよ」と言ってくれて、私はとても楽になって安心した。とてもとても泣けたんだ。
君に、いつもありがとう。
君が彼氏で本当に良かったよ。