すべての罪悪感は無用です / 斎藤学
すべての罪悪感は無用です / 斎藤学
以下心に響いた箇所の抜粋↓
・受け入れる→明るく陽気な感情を伴う。
諦める→寂しさと悲しみに覆われる。
明るく陽気な感情が見えたら受け入れている事になる。そうでなければ諦めている。
・頑張れば頑張る程寂しさや悲しさが増す。
・自分を受け入れられない人
→自分で自分を厳しく批判する。「こうでなければならない」「あれが出来ないから自分は駄目だ」という周囲から吹き込まれた考えに囚われて生きている。周囲が決めた価値や規定に振り回され、そんな基準に対して自分がちゃんと「適合しているか」をしょっちゅうチェックしている。
・妻は自らの空虚感や抑鬱の責任が夫にあると思い、怒りを抱き、恨む。夫は妻の寂しさや怒りを理解出来ないまま放置したり、怒鳴りつけて済ませようとする。
・他人の評価は変わらず気になるし、時には怖いと思う事もある。そんな自分も「それなり」に頑張っていると感じられた時、「真の自己」が成長してきて、「偽りの自己」を受け入れ、労わっている。
・私達は時に憂鬱になり、時に恐れ、時に嫉妬し、時にごまかす。それでいい。私達は全能ではないから。あらゆる側面で限界があるものとして、この世にある。そんな自分が様々な欲求と感情を持って、人と関わりながら生きて死んでいくだけ。
・他人の役に立とうと立つまいと、自分の個性に従って、「自分の為に」生きるように生まれている。
・みずからのアイデンティティは変えられるものではないし、変わって欲しくない。それを確信するところに、一つの「平安や落ち着き」が訪れる。
・そこいらの人になりたくないという青年男女
→心の底にあるのは強い劣等感と焦り。親の期待に沿って優秀であり続け、勝つ事への焦り。
・自分を承認してほしいという自己主張と、自分を承認してくれる他者に価値を見出す他者承認とのバランスをとって日々暮らしている。
・対人恐怖症
→孤独で耐えがたい程寂しく、他者の承認が欲しくて堪らないが、それを求めようとすると自分の世界に他人が侵入する事を許さなければならない。その不安と恐怖に耐えられない状態。
→だからリアルな人間関係ではない、モノとの付き合いを欲する。モノを相手にしている限り、自分が承認されるかどうかという恐怖も、他者を支配してしまうかもしれないという心配もしないで済む。
・被害を受ける自分に、自信と肯定を失ってしまう。
・よちよち歩きの子を連れた母。子が転んだ時、子の立ち上がる力を信じられる母は、子を見守るが手を貸さない。立ち上がろうとする子の力に共感し、立ち上がった子の力を讃える。子は自分を見守る母の瞳の中に、自分への賞賛を見出しそれを肯定的な自己イメージの素材にしていく。
こうした見守りには時間と心のゆとりが必要。
・普通の大人は、その大人の好きにさせておくと無自覚に、何らかの形で子を虐待してしまうもの。
・家族=傍目からは見えにくい小さな世界。
・習い事
→本当に楽しいのはその過程で出会う様々な体験。自己表現出来るし、共感出来る他人との出会いも持てる。
・現代は生きるか死ぬかというスリルがうしなわれている。それが退屈や寂しさに繋がっている。退屈や寂しさを怖がって避けようとすると、刺激を求める方に向かう。高揚感を求める嗜癖の罠にかかる。
・寂しさや退屈は私達に豊かさを与えるもの。
・虚しさやそれを防衛した感情である退屈、けだるさ、無気力は、外に敵がいなかったり、すべき課題が無かった事から始まる。
・人は少々ブルーな気分で、適度な寂しさを抱えながら生きるのがいい。そんな日々の中でこそ、人との出会いが何物にも代え難い温もりになるし、道端の緑の芽吹きに奇跡を感じる事が出来るようになる。
ブルーな気分や寂しさを全て払拭しようとすると、誰かに縋って生きようとか、自分を捨てて生きようとし始めてしまう。
・人は孤独を感じ、それを解消しようと他人を求め、関係性を紡いでいく。
・ストレスを感じる時にこそ自己を感じる。やってはいけない事をした時、自分を感じる。
・困った問題があるのに直せない。
→どちらの方向に進んでいいのか分からない。どちらの方向に進むか決める為には、現在に至るまでのマップを作り「どうやってここまできたか」を見つめる事が必要。
・「こういう人になりたい」という思いがあるなら、周囲に「自分もこうありたい」と思う人を集めれば良い。きっと自分の生き方を変える事が出来る。なりたい自分に、あなたはいつでもなれる。
・おとなの能力
→現実検討能力、衝動をコントロール出来る能力、自分を肯定出来る能力、いいかげんにやれる能力、他人と共感出来る能力。
・大人は他人に依存しないで生きていく。その為には、経済能力が必要。
・自分の能力の限界を知る。
・自分の不完全さを含めて、今の自分をそのまま肯定出来る能力。
・自分らしい快楽を求めて生きる。
・長女の不登校や次女の過食症は、親との繋がりを求め、家族システムを維持しようとする動き。
・親を失望させたと信じる子は「申し訳ない」と罪悪感を持つ。自己処罰願望まで至り、それが反転して親達に対する激しい攻撃として出てくる。
・問題行動(非行、自殺企図、不登校、摂食障害や様々な依存症)
→普段の生活の中で、自分の怒りや欲求を表現したり主張出来ない人々のねじ曲げられた自己表現。
・怒りは欲求が満たされない時に生じる。
・症状の訴え手は、無意識のうちに症状によって支え手を支配し、操縦している。こんな面倒臭いメッセージのやり取りをせず、「自分はこうしたい」「こうしてもらいたい」と言語化出来るようになればいいのだが、それも難しい。なぜなら支え手も、訴え手を必要としているから。
・「そうせざるを得ない」という嗜癖的な側面。
・「偽りの自己」と「真の自己」は混じり合って人格を作る。どちらか、という人はいない。
・自分の責任で選択し、その結果を引き受ける事こそ大人としての成熟であり、「自分の為に生きていく」事。
・誰の為でもない、誰のせいにもしない、自分自身をハッピーな状態にする事が、あなたが第一にするべき仕事。
・人生に決められたレールはない。あなた自身がレールを敷いて作っていくのであり、あなた自身が「これでいい」と思う人生を歩んでいける。
・誰かに「それは駄目だ」という口出しをさせない代わりに、誰かに「それでいい」と許可してもらい、責任を請け負ってもらう事も出来ない。
・自分の欲望に正直に生きようというあなたはもう、自分の外側に「ああしろ」「こうしろ」と言ってくる、うるさい親を持っていない。つまり「自分の為に生きていける」能力を手に入れたという事。