アダルトチルドレンを自覚してから

自分がアダルトチルドレンだと気付いてから、乗り越えようと格闘する日々の記録です。

子供にしがみつく心理  大人になれない親たち / 加藤諦三 メモ①

 現在読んでいる「子供にしがみつく心理 大人になれない親たち」 著 / 加藤諦三さん の本から気になった文章、また、そこから考えた事、思考メモです。

 登場人物は、私の毒母、父、元彼A、元彼Cです。登場人物への思考、葛藤を考えます。

子供にしがみつく心理 大人になれない親たち

 

第二章 親の中に清む「子供」

p66

基本的な信頼関係があって、初めて人は自立していかれる。 

 

p67

人と心が繋がる事ができないのが神経症。人と素直に心で繋がる事が出来ない。「親子の役割逆転」をする親は子供を苛める背後で子供に愛情を求めている。親は子供に愛情を求めながら子供に憎しみを持つ。「親子の役割逆転」をする親は、子供に「母なるもの」を求めている。それを直接表現できないと、非現実的な要求を子供にする。子供が、自分の要求をかなえないと不当な事に感じて猛烈に怒る。親の心の中にある「母なるものを求める気持ち」を子供が満たさないと、怒って子供を責めさいなんでいる。

  毒母を思い出す。貴女はいつも自分の要求ばかりで、それが満たされないと私をヒステリックに怒鳴り散らし、暴力を振るう真似をして、私を怯えさせました。怒りで私を支配しました。私は貴女が恐かった。私は貴女に「愛」を与え続けて、もう疲れました。貴女はいつも自分の事ばかり。なんて自己中なんでしょうね。

 

 

 

第三章 大人にならざるを得なかった子

 

p71

 受動的な人間は日常生活でもどうしても不満になる。相手に「これをしてほしい」「あれをしてほしい」という願望が強いから。しかし現実になって、そのような受け身の願望は実現されない。

 親の感謝の押し売り。親が「いい親を演じたい」為にしていることで、裏には子供に感謝を要求している。

 真の愛情は間接的に示される。

 毒母は、父への要求が凄まじい。まさに「これをしてほしい」「あれをしてほしい」と明確な要求を父に伝え、父はそれに従って動いてくれる。受け身の願望が実現されているのだ。毒母は、子供の頃に満たされなかった甘えを、周囲の人への甘えで実現している。子供の頃の甘えの願望が叶う毒母が、素直に羨ましい。

 毒母の「感謝の押し売り」あるある。子供の私に感謝を要求しており「~してあげた」と押し付けがましい。子供に「ありがとう」と言わせる。子供は頼んでもいないのに。毒母が私にしてあげた事で、私が感謝しないと「もう~してあげないから」とふてくされ、私を見離す。見離された私は不安になり、母に縋りつく。そして、見離されないように毒母に感謝する。万年見離され不安にさいなまれる。

 

p72

 間接的に愛を表現する為には相手を分かっていないと出来ない。直接的に愛を表現するのは相手を分かっていなくても出来る。日常生活の中でささやかな振る舞いによって自然に表現されたものが本当の愛。 過剰に表現される愛情は、誤った愛情。強調されて表現されたものは欠如を表す。

 退行動機での子育ては親にとって辛い。成長動機、つまり愛する動機での子育ては生きがい。

 

 

p73

 退行動機で生きている人は日常生活も辛い。いつも何かを「してもらおう」としているから。

 子供は褒めてくれると期待して行動したが、それに対し褒め言葉がないと深く傷つく。

 本来の親子関係は時と共に変化する。子供は小さい頃は「ずっとお父さん、お母さんと一緒にいる」と言っているが、自我に目覚め、反抗期になる。

  私は毒母に褒めて欲しかった。ただそれだけなのに、ひどく難しい。褒めて、喜んでくれる事を期待していたのに、逆に否定されて私は傷ついた。

 貴女は傷ついた私の顔を見て、優越感に浸ったのですか?私をそうやって苛めて、満足ですか?私を苛めて、マウントを取って、貴女の貧相な自尊心は維持されましたか?私はずっと苦しかったですよ。

 

p74

 反抗期を過ぎた親子は新しい関係になる。子供に恋人が出来る、結婚する。そこでまた大きな変化がある。

 「親子の役割逆転」をした親子は、そうした親子関係の自然な変化がない。親が子供に甘えているから、子供の自我の成長はない。親の自我の成長もない。心理的な子供が、肉体的に大人になって結婚しても、その人が子供の心であるということに変わりはない。

  毒母は子供の心であった。私の自我の芽生えは許されない。親子関係の変化はなかった。

 反抗が許されないから、反抗期もない。それを貴女は美徳のように思っているけど、全然良くない。子供の成長を貴女は止めたんだ。自分の為に。

 

p75

 交流分析では、敗者は他人との親密な関係を持つ代わりに相手を操作して相手を自分の期待に添わせようとする。 また相手の期待に添うようにと自分のエネルギーを使う。「親子の役割逆転」をする親は人生の敗者。子供を操作して、子供を自分の期待に添わせようとする。そんな親は、子供が自分自身であることを許さない。

 「親子の役割逆転」をする親は、親が子供に甘える。子供が親のお守りをしている。子供が親を喜ばせなければならないのだから「親守り」である。

 この影響をまともに受けた子供は心理的に成長する事が出来ない。

 

p76

 「親子の役割逆転」の場合、親が子供時代にしてほしかった事を子供との関係の中でしている。親は自分が子供時代にしたかったことを子供に無条件でさせている。強制的にさせている。強制的に子供を喜ばせる。親は甘えの欲求が満たされ大満足である。しかし子供は親の無意識にある欲求不満に反応するから、満足していないどころか、嫌悪感がある。でも親を喜ばせなければならないから、無理して嬉しそうな顔をする。 

  元彼Aは、自分の娘との間で、自分が子供時代にして欲しかった事を再現していた。年頃の娘の一人暮らしの部屋に毎日足しげく通い、休日も一日共に過ごす(買い物に行ったり、部屋で一緒にごろごろのんびり過ごしたり)。元彼Aは娘の為に、部屋に行く度料理を作り、掃除をし、何から何まで世話を焼く。私は当初、その娘に嫉妬していた。元彼Aは私よりも娘の世話や、娘を甘やかせる事でいっぱいだったから。私は「何故一人暮らしをして社会人である娘にそこまで依存しているのか」理解に苦しんだ。

 元彼Aの母親は子供に無関心であった。本当は、母親と一緒にいたかった?自分の世話をして欲しかった?母親と日常生活の時間を共に過ごし、自分を見て欲しかった?

 元彼Aと娘との関係が、元彼Aが自分の親との望む関係性であったら。必死になって子供の頃埋まらなかった虚しさなどを、娘を第替えに埋めようとしているのでしょう。それで埋まるのですか?

 

p77

 家族の団らんを求めているのは、愛情飢餓感が強い母親であって、子供ではない。これが「親子の役割逆転」。 

 

p78

 経済的、肉体的、心理的に自立できていない子供を使って、母親は自分の「昔の心の傷」を癒している。この子供は大人になって脅しに弱い子になる。 

 

p79

 「親子の役割逆転」をする親が自己実現していなくて不満になっている。その不満から子供に色々と要求が出てくる。しかしその要求は通らない。子供は親の思う通りには動かない。親は今までの色々な不満を一緒にして子供にぶつける。

 

 自分の心の問題を解決する為に相手と関わっていく。 

 

 p80

 「親子の役割逆転」の場合、隠れたサディストによって育てられているから 子供自身も攻撃されている事に気づいていない。

 

p81

 「親子の役割逆転」をする親は、家の外でも誰とも心が繋がっていない。それが子供へのサディズムとなって表現される。

 神経症者は人と繋がっていない。それが近しい人との関係で表れる。 

 毒母は神経症だ。誰とも心が繋がっていない。ひとりよがりで、被害者意識が強いから、尚難しい。自分から孤立していくのに、繋がりを求めてそれが全て子供にのしかかる。 

 

  親の苦労話を子供にしてはいけない。また親の自慢話を子供に聞かせてはならない。子育てで大切なのは、子供の話を聞く事と子供と話す事。

 子供を聞き役にしてはいけない。しかし「親子の役割逆転」では子供が聞き役になる。子供が親をお守りしている。 

 私は毒母の愚痴を聞かされて育った。それも、愚痴の主は父の事だ。父の愚痴を聞き、私は毒母の味方になろうと、毒母の小さなヒーローになった。毒母を精一杯守った。 子供らしくある事が、許されれば良かったのに。私には毒母のヒーローになる役割しか得られなかった。それ以外の役割は持つ事を許されなかったんだ。

 私の話を聞いているようで、聞いていなかった貴女。私の話を否定して、そこから何か生まれますか?ただ話したかっただけなのに。ただ聞いて欲しかっただけなのに。そこに批判や結論は求めていません。

 

p82

「親子の役割逆転」をされて成長した子供が話してくれた事。小学校の頃、いつも父親と一緒になって他人を貶めて笑っていた。「父親はそうしている時が幸せなんだな」と思っていた。 子守ではなく「父守り」をしている。

 私はこれを、元彼Aに重ねて連想した。元彼Aは、いつも職場の人など誰かを否定して笑っていた。そして、私にも否定を求めてきた。私が「そうやって否定して幸せ?」と聞いた事があるが、逆ギレされ酷い言葉を言われた。詳しく何を言われたか思い出せなくて、嫌な記憶は封印されてしまったのか。そんなに嫌だったんだ。私は「彼氏守り」をしていたのかも。誰かを否定しないと自分の価値を確信出来ない生き方は哀れだ。 

 

p83

 母親固着の病理的な第二段階にある男性は、自己主張する女性を嫌う。「ほとんど何の要求も持たない女性、つまり無条件で頼れる人を必要とするような固着である」。それと同じで「親子の役割逆転」をする親は、自己主張する子供を嫌う。自分の意見のある子供を嫌う。無条件で頼れる子供を必要とする。

 「親子の役割逆転」をする男性は、女性に求めても得られないから、つまりそういう女性がいないから、最後に自分の子供に母なるものを持った母親を求める。誰にも相手にされない大人が、親子関係の中で、子供に母親を求める。 

  はたまた元彼Aの話。自己主張する私は嫌いで、でも無条件で頼ろうとしてきた。元彼Aは、今まで彼女が沢山いた。10人以上はいたのではなかろうか。そんな女性達は元彼Aから離れていった。女性に求めてもすぐ離れていき、叶わないから、娘に母親との理想を叶えてもらおうと縋って依存していたのだ。

 

p84

 神経症者には他人には他人自身の望みや意見があるという単純なこと、他人が批判的に見ることもあるという単純なこと、他人は彼から何かを期待することもあるという単純な事が、彼には毒のある屈辱に感じられる。そして怒りがくすぶる。

  神経症者は、他人は自分とは違う意見を持たず自分と意見は同じであって欲しい、自分を批判的にみなくて、他人から期待されない事を望んでいる?そんな自分にとって都合のいい奴隷みたいな存在を欲しているのか。違う人間なのに、悲しいな。同じであるはずなんてないのにね。

 

p85

 「親子の役割逆転」をする親には子供が自分と同じように相手に何かを望むということが認められない。

 「どうか、信頼して尊敬してください、私が貴方より小さくても。私にも貴方と同じ感情があり、要求があります」

 一般に安全を感じる子供のみが、健全へと進む。満たされないと常に背後から満たされる事を要求し続ける。満たされない欠乏欲求が、固着や退行へと導く力である。

 

p86

  母親固着の方は「自分を慰め、愛し、賞賛してくれる女性が必要。母親のように保護し、擁護し、世話をしてくれる女性を必要とする」。そのような愛が得られないと「彼らは軽い不安感と抑うつ状態に陥りやすい」。

  元彼Cがまさにこのような姿勢であった。私に「もっと愛して。愛が足りない」と求めてきた。愛が足りないと、欠乏感を抱き、抑うつ、不安状態になっていたなあ。元彼Cは、向き合ったり気付くべきは、私や彼の友達の事ではなくて、根本的には自分の母親との関係性であったのにね。なかなか原因へは辿りつけなくて、目が向かないものだ。気付いてしまったら、きっと今までの自分ではいられないから。母親との関係に気付いたら、苦しく辛い「事実を認める」という段階が待っているから。

 

 「親子の役割逆転」をする親は、子供が従順である事を必要とする。子供に従順を求め、強要する。親である自分に従順でなければ、殺したいほど子供を憎む。また、子供の自己主張を嫌う。 

 

p87

  「親子の役割逆転」をする親は、小さな子供に無条件で頼れる人間であることを求める。つまり子供に、親である自分の人生の重荷を背負う事を必要とする。

  毒母の人生の目的が「私」であった。実家にいる時は、その事実が誇らしかったけど、そんの自分の人生を私に丸投げしたのと同じか。現に私が実家から離れて一年、毒母は生きる目的を失ってさまよっている。自分の人生を他者に託した罰か?自分の人生に他者を入れると、その他者がいなくなった時潰れてしまう。

 

4 子供に依存する

 

  神経症的愛情欲求をする人は、敵意があるから素直に愛情を求められない。子供に今よりもっと自分の方に注意を向けて欲しいが、子供に素直に「愛してほしい」と言えない。その子を苛める事で、もっと自分に注意を向けさせようとする。ちょうど子供が親に注意を向けてほしくて、悪い事をするのと似ている。

 

p88

 子供にとって親から無視されるよりは、親から怒られた方がまだ良い。親は子供に甘えて攻撃性を持ちながら、その子供に対する敵意を、躾と合理化する。

 そこで子供は悪い事をする。 親が子供に「甘える」心に隠されているのは憎しみである。

 親は自分が頼りにしている子供に自分の方を向いて欲しい。自分が期待するように自分に注意を向けて欲しい。しかし同時に親はその子に敵意がある。それはその子に依存心があるから。親は子供に「こうしてほしい、ああしてほしい」という要求を持つ。その要求がかなえられないと不満になって敵意を持つ。それが依存的敵意である。

  躾合理化して、親は怒るのか。毒母は私に「こうしてほしい、ああしてほしい」と要求が沢山あった。それが叶えられないと、毒母は不満になり、怒り狂い、金切り声で怒鳴り散らした。私はあれが恐ろしく、小学校まで泣いた。あれは毒母の、子供への甘えであったのか。子供が我儘を言うのと一緒。自分の要求が通らないと怒って、暴れる。子供の癇癪みたいなものか。

 

続く...