不倫
過去の不倫相手と3年ぶりに会った。
当時不倫という事実は辛くて、相手との時間は楽しかったが、ずっと苦しかった。
再会して、過去の楽しかった事を思い出した。
もう戻れない、楽しかった思い出を、思い出すのは切なくて、悲しくて、苦しい。
もう戻れないという事実が、重くのしかかってくる。
嫌いで別れたわけではないから、尚更楽しかった記憶が恋しくなった。
別れても、ずっと、きっと、相手の事が好きで、大切なんだろうなあ。
色んな思いを抱えながら生きていく人生って、とても長い。
不安なお母さん からの卒業
私の今の焦りは、前職の会社の人達の焦りを貰ってしまった。本当の私は焦らないのに。
私の今の不安は、元々は母の不安。私の不安じゃない。
子供の時、目の前の母が不安でいっぱいだったから、私は共感して、母の不安を取り込んだ。
でも、もう私は誰かから貰った「不安」や「焦り」がなくても生きていける。
私は私。誰かから貰った感情じゃなくて、私は私の感情で生きていきたいし、きっと生きていける。
今までは、学校でも、会社でも、恋人関係でも、母との関係の再現を続けてきた。
でも、もう母との関係の再現をしなくても、私は大丈夫、生きていけるよ。
今の私に「不安な母」は必要ない。
「不安な母」との別れであり、卒業。
お別れは寂しいけど、私はきっと大丈夫。
これからは誰かと「温かい関係が築ける」という未来への確信があるし、今の私の周りには、温かい関係が溢れている。
「不安なお母さん」、今までありがとう。
これからは別々に生きていく事になるけど、どうか見守っていてね。またね、ばいばい!
3歳
最近ののかちゃんの出ているTVを見てて、パニック発作が出てきた。
ののかちゃんは3歳。
自分が3歳の頃を思い出したのだろうか?
私が3歳の頃。なんとなく記憶がある頃。
あの時から、私は物心が芽生えて「寂しさ」を抱いた。
お母さんと同じ家に住んでるのに、部屋は別々で、お母さんが側にいない。
私は一人でずっとテレビアニメを見ている。
ちょっとした放置、ネグレクトみたい。
私は寂しかった。お母さんと一緒にいたかった。
私はお母さんにとって邪魔なのかな?悲しかった。
一緒にいても、お母さんは怒るから怖かった。
でも、一緒にいないと寂しい。1人ぼっちは寂しかった。
お母さんに、私を見て欲しかった。
「私はここにいても良いんだよ」て認めて欲しかった。
「私は生きていても良いんだよ」て言って欲しかった。
お母さんに私の存在がバレると、私が何か言うと怒るから、私は存在を消した。無になった。
でも、私はせっかく生まれたんだから、存在したいし、生きていたいんだ。
無になんてなりたくなかった。
いっぱい感情を感じて、生きたかった。
でも、無じゃない私は、お母さんにとっては迷惑だった。
ただただ、悲しかった。
胡散臭さ
君は最初からずっと胡散臭くて、矛盾してて、私はその歪さに惹かれた。
口では「俺は付き合った女の子を大切にするのがポリシー」みたいな事を言ってたけど、
実際の行動が全然女の子を大切にしていない。
全然女の子の事を尊重しないし、「大切にするフリ」をしていただけ。
「大切にするフリ」をしたのは、女の子と関係を持ちたかったから。ただそれだけ。
君の動機は「女の子との肉体関係」なんだから、随分自己中だよね…最低…
動機が肉体関係なんだから、そこに健全な愛なんて無い。
君は私の事、好きじゃないし。
私は君の事好きじゃなかった。
君は私と関係を持ちたかっただけだし、
私は寂しかったから、誰かに側にいて欲しかっただけ。ただ、それだけ。
そんな歪な2人の関係が、そこにはあっただけ。
胡散臭くて、自己中で、善人ズラな君が気持ち悪くて大っ嫌い。
我慢した気持ち
我慢した気持ちは後からやってくる。
元彼と付き合ってる時にされた嫌な事を、当時は我慢して、ただひたすら傷付いて泣いてただけだったけど。
今思い出してイライラ怒っているとか。
不倫してた時に、彼に、私は自分の人間関係を狭められた。
彼は私の人間関係には口出しして、私の事は孤立させるのに、自分は家に帰れば家族がいて、彼ばっかりずるいって、ずっと思っていた。
本当は当時怒っても良かったのに、私は怒りを抑圧した。
今思い出すと理不尽で本当に腹が立つ。
私は他にも、彼について我慢していた。
本当は体の関係を求めていたんじゃなかったのに、ただ仲良くしたかっただけなのに、私は仲良くする対価として、「体の関係」を差し出した。
それは相手が仲良くする対価として「私との体の関係」を求めたから。
私は彼と、条件付きの、対価の等価交換の関係を結んだ。
彼とは、体の関係がなければ付き合えなかった。
私はその事実が酷く悲しくて、絶望した。
条件付きじゃなくても、私は人付き合いがしたかった。
あの時、我慢して条件付きの関係を飲んだ私。
あの時我慢した分の怒りが、未だに消えないし、許せない。
元彼も不倫相手も、セフレもパパ活も、男は皆条件付きじゃないと、私と付き合えないんだと思っていた。
条件付きじゃないと、私は愛されないと思い込んでいた。
体の関係という条件を求めてくる男達に嫌悪感を抱いて、男に絶望したし失望した。
そういう男しか世の中にはいないんだろうとも思った。
だけど、ちゃんと私と付き合ってくれる人に出会って、男に対する絶望や嫌悪感が消えてきた気がする。
男不信だったけど、「この人なら信じられる」ていう人に出会えたんだ。
それは私の救いだった。
人のために頑張りすぎて疲れたときに読む本 / 根本裕幸
人のために頑張りすぎて疲れたときに読む本 / 根本裕幸
を読んで気に入った箇所を以下に載せました👇
・お察し上手な人
→「嫌われたくない」「迷惑をかけたくない」という動機もある一方で、人の気持ちを考えられる優しい人。
・「苦手」と感じるという事は、自分が嫌って隠している部分を見せてくれる可能性が高い。
「冷たい人」「ドライな人」が苦手だと思うなら、あなたは自分の中にある同じ面を隠して、無理して人に温かく接しているのかも?
→行動の選択肢が増えるかも?
・お察し上手な人は、無意識に相手にも同じ事をしてもらいたいという期待をしてしまう。
・相手が喜んでくれるし、感謝してくれるだろうから、相手の気持ちを察して行動している。
→自分がしたいからやる、という自分軸に変えていく。
・私が好きなものリスト、私がしたい事リストを作る。年齢❌10
・あなたの演技が上手く、嫌いな事をしているのに、そうとは悟られない態度をとっていると、むしろ「それが好きなんじゃないか?」と周りから誤解される事もある。
・好きなものを好き、嫌いなものを嫌いとはっきりさせる事は、驚く程心を軽くする。
・相手を頼る事で、その人に自信を与えたり、自分の存在価値を認識させたり、役立つ喜びを教えたり、与える事の喜びを知るきっかけを与える機会になる。
お願いしたり、頼ったりする事で、より心の距離が近づくので、職場の雰囲気は良くなる。
お願いする、頼む、甘える、というのは、人間関係を育てる栄養剤。
・お察し上手な人程、実は常に緊張状態にあり、まるでレーダー探知機のように周りの様子を窺う事がクセになっている。
・今日やらなくていい事を頑張ってやって、それで余裕をなくしていた。
・周りに気を遣い、振り回されていた彼女が、自分を甘やかしてみる事で、自分軸を取り戻せたのかも。
・他人軸になって周りの空気を読んでしまう時は、確かに周りの人の喜ぶ事をしているかもだが、あなた自身が喜べていない。
・自分に与える事に罪悪感を持たなくて良い。
・嫌われたくないという気持ちが強い時は、心の傷がうずいている時。
恐れは防衛本能の役割。
過去に痛い思い、辛い思いをした経験を回避する為に湧き上がる感情。
それだけ心の傷が今も生々しく残っているのかも?
・話す事は放す、離す事。
・「それはもう過去の事だよね」と認識する事で、徐々にその疼きが治まっていく。
・いじめっことはすでに疎遠になっていても、自分で自分をいじめていたり、周りの人の発言をいじめっ子の発言のように受け取ってしまったりして、未だにいじめが続いている。
・ああ、ちゃんと私、愛されていたんだ。
一人ぼっちだと思っていたけど、全然一人じゃなかったんだ。
・私達は自分が望んでいる愛し方で愛して欲しいと思っているので、愛を受け取れない事がよく起こる。
・遠くから見守る愛し方。
一見自分に何も興味がないような振る舞いをしながらも、実はとても気にしている。
・心配するという愛し方。
愛情表現だと分かっていても、鬱陶しい。
・我慢する、黙ってついていく、という愛し方。
・触れ合う事も愛情表現。
・お察し上手な人は、それだけで「人の気持ちを分かってあげられる」という価値を持っている。
それは「与える」という愛する行為の一つ。
「与える」とは「相手が喜ぶ事をしてあげて、それが自分も嬉しい事」。
与えるとは、行為そのものに幸せを感じられるもの。
・自分の心の状態や状況を見て、「与えるかどうか?」を選ぶ事が出来る。
相手の気持ちを察すると同時に、自分の状況を見て行動を選択する事が出来る。
これはすごく気持ちが楽な事。
自分軸で「与える」行動を意識してみると、肩の力が抜けた自然体の行動が取れる。
・ありがとうと感謝する事は、相手の気持ちを受け取る事になる。
人は誰かの役に立ちたい、喜ばせたい、という欲求を潜在的に持っているので、「ありがとう」と受け取ってくれる人は慕われ、自然と人から求められる人材になっていく。
・人は目に見えている態度が全てではない。
・本当は感謝の気持ちを持っているのに、それを表現出来ない、あるいは表現するタイミングを失っただけかもしれない。
その時は目の前の事に必死で余裕がなく、後々あなたに感謝している人がいる事も事実ではないか?
・私達にとって目に見えるものだけが全てではない。
あなたが今まで手を差し伸べ、気を遣い、我慢する事で助けられた人、喜んでくれた人、幸せを感じた人はきっといる。
・「人が好きだから、人の気持ちを察してしまうんだ」という気付きにより、心の深いところにある「愛」と繋がる事が出来る。
そこから不思議と安心したり、嬉しくなったり、感動する。
愛はとても大切で、私達全員に備わっている。愛は素晴らしい力を持っていて、愛と繋がっている時はネガティブな感情を感じる事は出来なくなる。
自分が愛しているからこういう思いを持つんだ!という気付きは、即座に自分軸に戻る事が出来る魔法のような効果がある。
・丸投げされるのも「信頼されている証拠」。
信頼とは愛の表現の一つ。
その期待に応えようと頑張ったのは、その仕事、上司、会社に対するあなたの愛からの行動。その仕事を、また、仕事仲間に対して愛があるから、それだけ頑張る事が出来た。
・仕事仲間を助ける為に、楽にしてあげたいが為に、苦手な事をしようと決意した。
・頑張って関係者の間を取り持ったり、誠心誠意対応したあなたの行動には沢山の愛が溢れていた。
・理不尽な事に耐えられれのは、そこに愛があるから。
・誰かの為に頑張るのは、そこに愛があるから。それだけ頑張りたい気持ちを持つのも、あなたが愛を豊かに持っている証。
・空気を読んで行動する事自体が愛からのもの。
・人は恐れや義務感などのネガティブな動機だけでそれだけの事を続けられない。
相手への深い愛があるからこそ、出来た事。
・お母さんへの愛があるからこそ、お母さんを楽にしてあげたいと思った。
・相手の事を尊敬し慕っているからこそ、力になりたいと思った。
・私達はよく結果で自分を評価してしまう。周りからも結果で判断されてしまう。
すると、動機となった「愛」については否定されたり、価値を見られなかったりする。
それは勿体ない事。
・人の気持ちを察しようとする、あなたの行動はすでに素晴らしい愛からの行為。
愛に気付き、自分の愛に自信を持つ事で、あなたはそのままで幸せを感じられるようになる。
お察し上手な人は、愛の人。
素晴らしい愛を持った、癒し人。
ずぼら瞑想 / 川野泰周
ずぼら瞑想 / 川野泰周
を読んで気に入った箇所を以下に載せました👇
・何事もほどほどに。
完璧に出来なくたって仕方がない。
そのままの自分でいればいいんだ。
そんなに頑張ったら疲れてしまうよ。
・何となく、が一番続く。
・自分に合う瞑想、合わない瞑想を探すのも小さな楽しみ。
・気づきがご褒美。
・不安になるのもしょうがないと気楽に構えていると、自然と不安は和らいでいく。
・人間は考えたくないものほど考えるように出来ている。
・今の苦しみがピークであって、「ここから先は楽になるだけだ」と信じられたら、心も前向きになる。
・人の心は1秒1秒変わっていく。
苦しみもいずれ癒えるもの。
「今この瞬間」に目を向け、懸命に生きよう。
・怒りは人間ならば当然のように起こる反応だから、怒りを消そうとするのは間違っている。
それより、自分が怒っているという事実に気付き、何に対して怒っているのか、解釈する事に意味がある。
・人間は誰しも自分を特別扱いする生き物だから、つい「私に対して特別に怒っているんだ」と早合点しがち。
でも実際には、周りの同僚も同じように怒られているかもしれないし、単に上司の虫の居所が悪かったのかも。
そう考えると、人の言動にいちいち振り回されなくなる。
・「自分が叱られる事で、課長は心のバランスを保っているのかもしれない。
なんだか自分が課長の支援者のような気がしてきた」
→今ではチーム一丸となって課長を育てていこう、という方針でいる。
・瞑想中に雑念が浮かんできても、消そうとせず「雑念が浮かんでいるな」とただ感じる。
呼吸瞑想でも、呼吸をコントロールするのではなく、普段通りの呼吸をただ観察する。
これは「ありのままの自分を受け入れる」という事。
「ありのままの自分を肯定し、慈しむ」という心の有り様に繋がっていく。
・慈悲心
→他人を思い遣る優しい気持ちも、他人の言葉に流されない強さも身につく。
・いつも会社や家族の為に尽くしている人が、時間を惜しまず自分一人の為に尽くす。
それは自分に対するご褒美。
・人間は理屈で物事を解釈すると、心が落ち着くように出来ている。
・ユーモアにはネガティブな感情を笑いに変える力がある。